自殺における加害者の定義

ずっと死にてーと思っていたけど死ななかったのは、それなりに希望を想像できて死ぬのが怖かったからで、逆に言えば死ねば消える絶望か遭遇したくない恐怖があればマシな手段として自殺を選ぶって訳なんだけど、奴らが巧妙なのは「大した事じゃない」「そんな事でいちいち落ち込んでたら」「私を加害者に仕立て上げる気か?」みたいなスケールの解釈が受け手によって異なる概念で有ることを良いことに、お前の認知が異常だから自分を追い詰めるどころか他人を加害者にしようとしている、可哀想な人ねって、所謂ガスライティングに嵌めてジワジワ精神を削って来る点で、それによって相談や気持ちを表に出す事自体を恐れるようになっちゃって、更に自己内部崩壊が加速してしまうんだけど、さっき気づいたんだけどそれだわ。
両親や夫婦で言うと大抵どちらかが目に見えておかしいともう片方もおかしいとか、やけに片方の話題だけとかはよくある話で、それぞれが静と動のヤバみが凹凸パズルの共依存みたいになってて、厄介な事に静は静で表面化しにくいもののヤバみをちゃんと持ってて、だからこそ相談出来なかったり、矛先が子とか第三者に向けられてしまうんだけど、はてさて今年は何処まで進めるかな。頑張るぞ。
頑張るぞとは言ったものの、頑張るってつまり外的に与えられたやるべきことをストレスに耐え抜いて達成するってニュアンスだと思ってて、で言うとこの頃は自分の知りたい事や自分の為になると、少なくとも自分でそう信じてる事をやってるので、頑張りもクソも無くば、頑張るなんて感情が芽生えたらさっさと切り捨てていきたく、「頑張らない為に頑張りたくない」所存…🤔
そう言えばやけに自殺のニュースや話題とかが流れるたび、精神の弱さとか選択の愚かさを呪詛ってたな。自己愛やモラの常用手段と聞いて色々繋がった。